によって作られたものであって、しかもその技巧たるや、東洋風、あるいは西洋風とはまっ
たくかけ離れた、また古代風でPretty Renew 退錢も現代風でもなく――その類例を見たことも聞いたこともな
いような、まったく不可解きわまるものであった。この冠には、まるで他の惑星で作られた
作品のような趣《おもむき》があった。
だが、やがてわたしは、自分が不安になる原因が、あの奇妙なデザインの絵画的でしかも
製図を思わせる点にも、同じくらい強く宿っているのに気がついた。その模様はどれを見て
も、時間と空間に関しては、遙かに遠いさまざまな秘密と、想像もできない深淵のあること
をそれとなく物語っていたし、またその浮彫りが、どこまでも単調に、ただ波の模様を表わ
しているところは、不吉な感じがしてくるくらいであった。浮彫りのなかには、思わず顔を
そむけたくなるほどグロテスクで悪意に満ちた、忌まわしい伝説上の怪物――たとえば、な
かば魚、なかば両棲類を思わせる――姿も見うけられたが、こういう二つのものを思わせる
気持と、たえず頭に浮かんでくる不愉快な潜在的《せんざいてき》な記憶感覚とを切り離す
わけにはいかなかった。それほど、これらの怪物の姿は、その記憶力がまったく原始的でか
つ恐ろしいまでに祖先伝来のものである脳細胞の深層組織から、あるなまなましいイメージ
を呼び起こすかのように思われた。こういう神を冒涜《ぼうとく》するような半魚半蛙の姿
こそ、人間のまだ知らない、非人間的な悪の真髄にみちあふれているのだとわたしはときど
き想像した。
形が異常なのにくらべると、この冠が手に入いった径路《けいろ》について、ティルトン
さんの話してくれたいきさつは平凡でつまらなかった。この冠は、一八七三年にインスマウ
スに住んでいたある酔っぱらいが、ステート街の質屋に、バカな安値で入質したものであっ
た。この男は間もなく喧嘩をして殺されてしまった。そこで歴史協会がじかにこの質屋から
受け出したところ、陳列に値すると見てさっそくそれを飾り棚に並べたというわけであった
。この冠の分類表示にはおそらく東インドか、あるいはインドシナ産のものであろうと書か
れていたが、この分類はあくまでも仮のものであると断わってあった。
ティルトンさんも、この冠がニューイングランドで作られたもので、そのままここにこう
して残っているのだということに関しの仮説をいろいろと比較検討して
みたあげく、どうやらこれはオーベッド・マーシュ老船長が見つけだした外国渡りの海賊の
秘宝の一部らしいと信じたいような気になったようだ。その後、マーシュ家の連中は、冠が
この協会に保管されていると知るや、さっそく高値で買い入れたいとしつこく申し出てきた
ことから見てもティルトンさんの見解はますます強まったし、いぜんとして歴史協会のほう
では売らない決心を変えないのにマーシュ家は今日にいたるまで相変わらずその申し出をた
びたび繰り返しているそうである。
ティルトンさんは、この陳列室のある建物からわたしをそとに連れ出しながら、この地方
のインテリのあいだでは探索四十學習研修、マーシュ家の財産のおもなところは、海賊の宝ものだという説が
一般に広く信じられていると話してくれた。暗い影のあるインスマウスの町に対するティル
たくかけ離れた、また古代風でPretty Renew 退錢も現代風でもなく――その類例を見たことも聞いたこともな
いような、まったく不可解きわまるものであった。この冠には、まるで他の惑星で作られた
作品のような趣《おもむき》があった。
だが、やがてわたしは、自分が不安になる原因が、あの奇妙なデザインの絵画的でしかも
製図を思わせる点にも、同じくらい強く宿っているのに気がついた。その模様はどれを見て
も、時間と空間に関しては、遙かに遠いさまざまな秘密と、想像もできない深淵のあること
をそれとなく物語っていたし、またその浮彫りが、どこまでも単調に、ただ波の模様を表わ
しているところは、不吉な感じがしてくるくらいであった。浮彫りのなかには、思わず顔を
そむけたくなるほどグロテスクで悪意に満ちた、忌まわしい伝説上の怪物――たとえば、な
かば魚、なかば両棲類を思わせる――姿も見うけられたが、こういう二つのものを思わせる
気持と、たえず頭に浮かんでくる不愉快な潜在的《せんざいてき》な記憶感覚とを切り離す
わけにはいかなかった。それほど、これらの怪物の姿は、その記憶力がまったく原始的でか
つ恐ろしいまでに祖先伝来のものである脳細胞の深層組織から、あるなまなましいイメージ
を呼び起こすかのように思われた。こういう神を冒涜《ぼうとく》するような半魚半蛙の姿
こそ、人間のまだ知らない、非人間的な悪の真髄にみちあふれているのだとわたしはときど
き想像した。
形が異常なのにくらべると、この冠が手に入いった径路《けいろ》について、ティルトン
さんの話してくれたいきさつは平凡でつまらなかった。この冠は、一八七三年にインスマウ
スに住んでいたある酔っぱらいが、ステート街の質屋に、バカな安値で入質したものであっ
た。この男は間もなく喧嘩をして殺されてしまった。そこで歴史協会がじかにこの質屋から
受け出したところ、陳列に値すると見てさっそくそれを飾り棚に並べたというわけであった
。この冠の分類表示にはおそらく東インドか、あるいはインドシナ産のものであろうと書か
れていたが、この分類はあくまでも仮のものであると断わってあった。
ティルトンさんも、この冠がニューイングランドで作られたもので、そのままここにこう
して残っているのだということに関しの仮説をいろいろと比較検討して
みたあげく、どうやらこれはオーベッド・マーシュ老船長が見つけだした外国渡りの海賊の
秘宝の一部らしいと信じたいような気になったようだ。その後、マーシュ家の連中は、冠が
この協会に保管されていると知るや、さっそく高値で買い入れたいとしつこく申し出てきた
ことから見てもティルトンさんの見解はますます強まったし、いぜんとして歴史協会のほう
では売らない決心を変えないのにマーシュ家は今日にいたるまで相変わらずその申し出をた
びたび繰り返しているそうである。
ティルトンさんは、この陳列室のある建物からわたしをそとに連れ出しながら、この地方
のインテリのあいだでは探索四十學習研修、マーシュ家の財産のおもなところは、海賊の宝ものだという説が
一般に広く信じられていると話してくれた。暗い影のあるインスマウスの町に対するティル