2017年06月

ゆったりした部

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りかえった農家や、影のつどう石の壁を目にしながら歩きつづけた。古びた店や居酒屋の看板が潮風に吹かれてきしみ、舗装されていない無人の通りでは、建ちならぶ家々の柱つきの玄関に備えられたグロテスクなノッカーが、カーテンをひいた小さな窓からもれる光をうけてきらめいていた。
 町の地図に目をとおしていたので、一族の家がどこで見つけられるかはわかっていた。村の伝承が長く語りつがれているため、わたしのことはすぐにわかり、歓迎されるはずだという。わたしは足を早め、バック・ストリートを抜けてサークル・コートに入り、町で唯一、敷石舗装のされた道をおおう新雪を踏みわけ、グリーン・レーンがマーケット・ハウス裏手からはじまる場所へとむかった。古い地図はまだ役にたち、道に迷うことはなかった。もっともアーカムで、この町には路面電車が走っているといわれたのだが、架線が見あたらないため、嘘をつかれたにちがいない。ともあれ、たとえ線路があるとしても、この雪ではうかがえなかった。わたしは徒歩の旅を選んだことをうれしく思った。白い雪につつまれた村が丘からとても美しく見えたからだ。そしていまは、グリーン・レーンの左手七番目の家、一六五〇年以前に完成された、尖《とが》り屋根と張りだす二階を備える、一族の家のドアをノックしたくてたまらなくなっていた。
 わたしが訪れたとき、家のなかには灯がともっており、菱形《ひしがた》の窓ガラスをとおして見ると、大昔の状態をほぼそのまま保っているにちがいないことがわかった。二階の部分が雑草の生い茂る道に張りだし、むかいの家の張りだす二階とふれなんばかりになっているため、わたしはトンネルのなかにいるも同然で、玄関に通じる低い石段は雪から完全にまぬかれていた。舗装された歩道はなかったが、多くの家では、玄関の高いドアへと、鉄の手摺《てすり》のついた二重階段がつづいている。奇妙な眺めだった。わたしはニューイングランドにははじめてなので、どういうありさまなのかまったく知らなかったのだ。ニューイングランドのたたずまいがわたしを喜ばせたが、雪に足跡が残り、通りに人がいて、カーテンのひかれていない窓が二、三あったなら、さらに楽しんでいたことだろう。
 古風な鉄製のノッカーを鳴らしたとき、わたしはなかば怖気《おぞけ》をふるっていた。おそらくは、わたしがうけついでいるものについて何も知らぬこと、夕暮どきのさびしさ、奇妙な慣習をもつ年ふりた町をつつみこむ一種異様な静けさのためだろうが、何かしら恐怖が身内にこみあげてきたのだ。そしてノックに対する返答があったとき、わたしは文字通り震えあがってしまった。足音がまったく聞こえないまま、ドアがいきなり開いたのだった。しかしいつまでも怖気をふるっていたわけではない。ガウンをまとい、スリッパをはいて戸口に立つ老人は、いかにも穏やかな顔をしていて、わたしはほっと胸をなでおろしたものだ。もっとも老人は唖《おし》であることを手振で示し、たずさえていた鉄筆と蝋板《ろうばん》で古式ゆかしい歓迎の言葉を記した。
 老人にうながされてわたしが入ったのは、蝋燭《ろうそく》の炎に照らされる天井の低い部屋で、どっしりした垂木《たるき》がむきだしになっており、十七世紀の黒ずんだ堅牢な家具がごくわずかにあった。過去がなまなましく現前していて、その属性は何一つ失われていなかった。洞窟かと思えるほどの暖炉があり、紡ぎ車があり屋着を身につけ、|縁張り帽《ポーク・ボンネット》をかぶる、腰のまがった老婆が、わたしのほうに背をむけて坐り、祝祭の日でありながら、ものもいわずに糸をつむいでいた。どことなく部屋全体が湿っぽい感じがして、わたしは暖炉に火がないことを不思議に思った。背もたれの高い木製の長椅子が、左手のカーテンをひかれた窓に面して置かれ、誰かが坐っているような気がしたが、確信があったわけではない。わたしは目にするもの何もかもが気にいらず、つい先程おぼえた恐怖をまたひしひしと感じた。この恐怖は以前よりもさらに強くなっていった。老人の穏やかな顔を見れば見るほど、その穏やかさがわたしを不安な思いにさせるのだった。目は決して動くことがなく、肌はあまりにも蝋に似ていた。わたしはとうとう最後には、顔ではなく、悪魔のように狡猾《こうかつ》な仮面であると確信したほどだった。しかし奇妙にも手袋をはめたしまりのない手は、蝋板に愛想のいい言葉を記し、祝祭の場所へと通されるまで、しばらく待っていなければならないことを伝えた。
 老人は椅子、テーブル、本の山を差し示したあとDPM床褥

ストが肩ごしにふ


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 結果を待つのは空恐ろしいことだったが、ウェストは決してたじろがなかった。ときおり死体に聴診器をあてては、思わしくない結果を達観していた。ごくわずかな生命の徴候も得られないまま、およそ四十五分がすぎると、失望もあらわに試薬が適切なものではなかったのだといったが、この機会を最大限に利用して、慄然たる戦利品を処分するまえに、処方をかえていま一度試してみる決心をつけていた。わたしたちはその日の午後に地下室に墓穴を掘っていて、夜明けまでには埋めてしまわなければならなかった――廃屋には施錠していたが、食屍鬼めいた行為が発見される危険は、ごくわずかなものでも避けたかったからである。それに翌日の夜ともなれば、死体はいくら何でも新鮮なものではなくなってしまう。したがってわたしたちは一つきりのアセチレン・ランプを隣の実験室にもっていき、物いわぬ客を闇のなかの台の上に残して、新しい試薬の調合に全精力をかたむけ、ウェストの指示のもと、ほとんど熱狂的な綿密さで計量をつづけた。
 あの悍《おぞ》ましい出来事は、まったくだしぬけの思いがけないものだった。わたしが一本の試験管から別の試験管に何かを注ぐかたわら、ウェストが、ガスのひかれていないこの建物で、ブンゼン・バーナーにかわるアルコール使用の小型発炎装置をまえにせわしく作業していたときのことだが、わたしたちが立ち去った闇につつまれる部屋から、いまだかつて聞いたこともない悪魔めいた身の毛もよだつ悲鳴が連続してほとばしったのだ。地獄そのものが開いて亡者たちの苦悶《くもん》が解き放たれたとしても、この混沌《こんとん》とした呪わしい音声ほど名状しがたいものではありえないだろう。間断なくつづく信じられない不快な音声のうちに、生命あるものの至高の恐怖と尋常ならざる絶望とがことごとく凝集していたからだ。人間であるはずはなく――人間にこんな音声が発せられるわけがない――ウェストとわたしは、つい先ほどおこなった実験のことや、それによって発見をなしたかもしれないことも失念して、おびえた動物のように一番近い窓にとびつき、試験管もランプもレトルトも押し倒し、田園の夜の星のちらばる深淵に、狂おしくとびだしたのだった。よろめく足でやみくもに街にむかっているあいだ、二人とも悲鳴をあげていたように思うが、街はずれに達したときには見かけだけの平静さは保っていた――酒びたりになってようやくふらふらと家路につく、酔いどれに見える程度には。
 わたしたちは別れることなくどうにかウェストの下宿にたどりつき、ガス灯をつけたまま夜明けまで声を潜めて話しあった。夜が明ける頃には調査のための理性的な考えや計画をたてることができ、すこしは気持もおちついたので、その日は終日眠ることができた――大学の講義はかえりみなかった。しかしその日の夕方、夕刊に掲載されたまったく関係のない二つの記事のおかげで、またしても眠ることなどできなくなってしまった。チャップマン農場の古い廃屋が不可解にも燃えあがり、見わけもつかぬ灰儘《かいじん》に帰してしまったというのは、倒れたランプのせいであると理解できた。もう一つの記事は、無縁墓地の新しい墓が踏鋤《ふみすき》も使わず無闇《むやみ》に手でかいたかのように、荒らされた形跡があるというものだった。わたしたちは念入りに土を踏みかためていたから、わけがわからず途方にくれてしまった。
 そしてその後十七年間と避孕 藥いうもの、ウェりかえっては、気のせいか足音がするようだとこぼすことがよくあった。そのウェストもいまはもういない。
 
 十六年まえ、魔王イブリスの広間からとびだした有害な悪鬼たちのように、腸チフスがアーカムじゅうに蔓延《まんえん》した忌《いま》わしい夏のことは、生涯忘れることはないだろう。たいていの者はこの年を悪魔のような疫病によっておぼえているほどで、まさしく恐怖がクライスト・チャーチ墓地の墓穴に積みあげられた棺の上に、蝙蝠《こうもり》の翼のごとくたれこめていたのだが、わたしにとってはさらに大なる恐怖がある――ハー
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